誰がために建築は建つか 第9回講演:dot architects
超日常

「No.00(2011年竣工)/兵庫県西宮市」
撮影者:武田陽介

 
タイトル:dot architectsという運動体について  執筆者:島田 陽/タト アーキテクツ

超日常
超並列で知られる家成俊勝、大東翼、赤代武志の3人によるdot architects(以下dot)の今回のレクチャーのテーマは「超日常」である。超並列はIT用語の援用であったが、超日常とはなにか。新たな設計方 法なのだろうかとの疑問を抱きつつ、レクチャーは家成氏のDESIGNEAST、エイブルアートでの展示キュレーション、インクルーシブ・アーキテクチャーについての発表から始まった。

エイブルアート
エイブル・アート「ひと・アート・まち滋賀2010」での展示キュレーションは興味深い。エイブル・アートとは障害のある人たちのアートを<可能性の芸術>としてとらえ、芸術と社会の新しいコミュニティーを築いていく市民芸術運動で、彼らはアーティスト・三井啓吾さんの、生家である元スーパーマーケットを展示スペースに変えた。展示に使用した、彼の日常に密着した(=シャドーイング)映像がレクチャー会場にも一部上映された。その映像から日常的行為の創造性に気付き、「我々の日常的行為を掘り下げた奥深いところ−超日常−の創造性をそのまま建築に立ち上げられないか」と家成氏は述べる。先行研究として意識されているのか定かではないが、岡本信也+岡本靖子による1993年の著作『超日常観察記』では路上に置かれたゴミ箱の壊れ方、定食の食べ方等が現代版考現学として観察され記録されている。こういった観察から建築を立ち上げることが出来れば、あるいはバウハウスで画策され、その後取りこぼされていった、日常のみずみずしさを建築に取り戻すことが出来るかもしれない。

インクルーシブ・アーキテクチャー
続いてのインクルーシブ・アーキテクチャーも美しいプロジェクトだった。水野大二郎氏との協働で障がい者と共に(の為にでは無く!) ラピッドプロトタイピングと言ってもよいスピードで道具を改良していくワークショップ、及びその道具によって作られたダンボール製ユニット、それを組み合わせてつくられたシェルター等が製作された。その奇妙に美しい姿はAARのサイト内記事 dot architects「『インクルーシブ・アーキテクチャー』という思想」などで一部が見る事が出来る。インクルーシブとは包含する=排除しないとの意味で、これはdotの創作に関わる態度そのものと言っても良いのではないだろうか。事実その後の質疑応答ではインクルーシブと言う用語が頻出したが、未だ不慣れな概念による応答は、ややすれ違いを生んでいたように思われ、このレビューでの用法も誤用が含まれているかもしれない。それこそが真新しいことばを援用する効能だとは思うのだけれど。

浜松建築会議
家成氏から大東氏にマイクが渡り、続いて浜松建築会議についての発表が始まる。リサーチとインスタレーション製作のワークショップとシンポジウムから成り、リサーチでは浜松の中心市街地の空室率をビジュアル化し、空洞化の実態をあぶりだす。これは、筑波大学貝島研究室+アトリエ・ワンによるリサーチ本「dead or alive水戸空間診断」とその後の「植物の家」プロジェクト等を思い起こさせる動きだ。こうした動きが各地方都市で蓄積されれることが都市の再生の端緒になるのではないだろうか。

No.02
続けてNo.00、及びlatest No.00について発表がなされ、赤代氏によるNo.02の発表。No.02はNo.00より一層、超並列化を推し進めて今期のアーキフォーラムのコーディネーターである満田衛資氏をも構造設計者として巻き込み、ほとんどの施工プロセスに関わってしまおうというプロジェクトである。可搬性を重視し24*75程度の間伐材を柱に利用した構造は幾分合理的に整理された印象をもたらしている。No.00で目指された、差異を積極的に取り込んで、それぞれの多様な振る舞い許容する態度が、今後このプロジェクトでどのように発展を遂げるのか興味深い。彼らは、現代の高度に専門化され完成された、建築に関わるプロセスを非専門家にも開き、可能性を広げたいと語る。愛着を生み出す為に、施工に参加してもらい、家を購入するのでは無く共に作り上げたいのだと。これまで幾人もの建築家が住宅のセルフビルドに挑戦し、ある意味では敗北し続けているように思える。 現代では建築を自分で作る、その重さに踏み込める人種は限られているのだ。だがDESIGENEASTでの、国内外のデザイナーが手がけたプロダクトの図面をもとに、その場で制作できるワークショップでは多くの参加者が自らの手で家具等を製作していた。恐らくは少しの疵を愛着として。その光景の延長線上に、No.02の手で運べる小径木のよる構造体が立ち上げられればよいと思う。

イベント、ワークショップ、展覧会の設計とプロセスの設計のみが語られる、建築家としては特異なレクチャー(この特質は藤村龍至氏と共通する点があり、両者の共闘関係も頷ける。)から考えると、dotの主な活動は既に建築の設計というよりは、あるネットワークの設計、その運動の集合と捉えたほうが適切なのではないだろうか。菌糸のようなネットワークが十分に育った結果として、キノコのように建築が形成される場合もある。そう考えるとDESIGENEASTからNo.02までが自然な地平に置かれ、家成氏曰く「めっちゃある」幾多のdotにより設計された空間は、ネットワークの設計まで遡れなかった為、レクチャーでは扱われないのではないかと考えることが出来るだろう。

さて最後に、完成が先延ばしにされたままの(永遠に延ばされるべきだと思う)No.00を、入居直前に訪問することが出来たので、その感想を報告してこのレビューを終わりたい。

No.00
正直に言って大変驚いた。もっと強烈なブリコラージュ、セルフビルド感のある建築だろうという勝手な予想は全く裏切られ、そこに存在していたのは、一見 コンサバティブな見え方すらする、あるあっけらかんとした建築だった。裏切られたような気持ちと同時に、確かにこういう建築の設計の方法について、これまで話されていたのだと腑に落ち、自らの不明を恥じた。特筆すべきはその外観で、神社やその境内、周辺の商品化住宅のいずれをも受け入れるような、ある種の愛らしさがあった。ただ、藤村龍至氏が「頭が高い感じ」と感想を述べているように、我々の世代の建築家にありがちな、低く小さく構えることを是とする考えは見受けられない。そのようなスケール感が意外にもこの住宅に、公共的な雰囲気をもたらしているように思えた。

ここで実現されたのはインクルーシブな−排除しない在り方だ。そのルールにより、粗い積み方のコンクリートブロックも、妙に綺麗なステンレスの手摺も、大工の手による擬宝珠のような階段の手摺子も、共にある在り方。これら自律した言語のざわめきによる都市的な様相が、1階が陶芸教室として用意されているほかは、とても住宅らしいプランであるこの建築に、前述した公共的な感覚をもたらしている一因に思える。多様な細部が共存することで想起されたのは青木淳設計の青森県立美術館だったが、その経験は対照的に思える。青森県立美術館では意味深げにディテールが配され、理解は幾重にも裏切られる。非常に脳が疲れる濃密な経験だった。対してNo.00では次々と出てくる細部に答えはあらかじめ回避されている。結果、僕にとってはかなり意外なことだったのだけれど、意味の空白ともいえる場所が出来、特に2階には気持ちの良い場所がつくりだされていた。
ただ、やはり踏み絵のような建築ではある。この住宅の、ある寛容さは緩さにも映るだろうし、ディテールの精度の不一致さは建築リテラシーの高い人ほど混乱するだろう。空間の美を建築に見出したい人はその意図が感じ取れず困惑するかもしれない。個人的には、より心躍る幸福な場所の獲得を望みたい。決して高望みではない筈だ。

この建築で唯一排除されているのは美学、昨今の建築家の住宅の多くに匂い立ってしまう「中流による中流のための中流美学の称揚」*1の排除である。僕らはこの建築から何を受け取れるだろう。僕には3人からニコニコと突きつけられた刃にも見えた。

*1 塚本由晴 『10+1』 No.28 (現代住宅の条件)


 

執筆者プロフィール
島田陽(しまだ・よう)島田陽建築設計事務所/タトアーキテクツ/1972年兵庫県神戸市生まれ/1995年京都市立芸術大学環境デザイン科卒業/1997年同大学大学院修了/1997年タトアーキテクツ/島田陽建築設計事務所設立

 

講師:dot architects(建築家)

□Why dot architects ?

今回のアーキフォーラムでは大阪で活動する若手建築家、dot architectsをお招きします。
建築は言うまでもなく他者との関わり合いの中で生み出されます。また、建った後も他者と無関係に建ち続けることはありません。公共、民間、建物の大小に関わらず、建築は建ち続ける限り、いつまでも自閉することはなく、社会の中でずっと誰かと関係性を持ち続けなければならない宿命にあります。それ故建築を思考する事は、同時に他者との関係性や社会そのものを思考することに他ならないと思います。
dot architectsは1974年生まれの家成氏と赤代氏、1977年生まれの大東氏の三人で活動しています。それぞれ模型、図面、ディテールを同時並行で進めながら相互に影響を及ぼし、フィードバックを重ねることで設計を進めます。この「超並列」という、他者性をあらかじめ内包した設計手法により、彼ら曰く「ずっと途中のような」建築、いつまでも完成しない建築のあり方を模索し、実践しています。また、dot architetsの活動は建築設計だけでなく、デザインイベントの運営(☆)、大阪工業技術専門学校等での教育活動、そして内装工事や建築工事の施工など多岐に渡ります。他者と積極的に関係し、建築設計の周縁まで内包しながら活動するというスタンスは、従来の建築家による中心化された設計行為に対するアンチとも捉えられます。今回のアーキフォーラムでは、そのような「超並列」の設計手法や活動領域を横断するスタンスに至ったdot architectsの思考を紐解き、この複雑な社会の中で、他者と関係しながら建築することに対するヒントを発見できればと考えます。
講演タイトルは「超日常」。このタイトルは彼らの思考やスタンスが、近未来というよりもむしろ日常に根ざした原始的な人間関係や建築行為を前提にしていることを端的に示しています。これまでのアーキフォーラムで議論したBIM(第2回山梨知彦氏)やコンピューテーション(第8回竹中司氏)といった近未来の設計手法に対する彼らの考えを聞く事で、さらに議論の幅を広げる事ができればと思います。(山口陽登)

(☆)それぞれが個別に実行メンバーの一員であるイベントーDESIGNEAST、浜松建築会議、オルタナティブカフェ、インクルーシブデザインなど

□第9回講演:
超日常/dot architects

□日時:2011年1月29日(土)

●略歴
家成 俊勝(いえなり・としかつ)
1974 年 兵庫県生まれ/関西大学 法学部 法律学科 卒業/大阪工業技術専門学校 夜間部 卒業/専門学校在学中より設計活動を開始/ドットアーキテクツ 共同主宰/現在、京都造形芸術大学・大阪工業技術専門学校 非常勤講師

大東 翼(おおひがし・たすく)
1977 年 兵庫県生まれ/大阪工業技術専門学校 夜間部 卒業/関西大学 経済学部 経済学科 卒業/工務店 勤務/ドットアーキテクツ共同主宰

赤代 武志(しゃくしろ・たけし)
1974 年 兵庫県生まれ/神戸芸術工科大学芸術工学部環境デザイン学科 卒業/北村陸夫+ズーム計画工房/宮本佳明建築設計事務所を経て設計活動を開始/ドットアーキテクツ 共同主宰/現在、大阪工業技術専門学校 非常勤講師