誰がために建築は建つか 第2回講演:山梨知彦:BIMは誰のためのツールか?

木材会館/2010年

 
「はやさの先に、貧しさの後に」  執筆者:倉方俊輔/建築史家・西日本工業大学デザイン学部建築学科准教授

「BIM」という言葉を近ごろ耳にすることが多い。それはもっぱら建築設計と建築生産をコンピュータの力でつなぎ、建築をつくる上での《はやさ》を獲得するための道具と考えられている。だが、山梨知彦氏の「BIMは誰のためのツールか?」は、そうではないと主張しているような講演だった。

その日の会場には、いつも以上にプロっぽい空気が漂っていた。講演者の山梨氏は、現代の組織設計界のスターである。日建設計において山梨設計室を率い、「神保町シアタービル」「乃村工藝社本社ビル」「木材会館」などを完成させた。いずれも建築雑誌で話題となり、一般雑誌や新聞でも採り上げられている。BIMの導入にも積極的で、昨年『BIM建設革命』と題した著書も上梓した。そんな山梨氏が話題のBIMを語る。社会の最前線で動いている実務者や研究者の関心を引くのも当然だ。

山梨氏はていねいに、BIMの一般論から話し始めた。BIMとは「Building Information Model」の略である。それは「形状+属性+デジタル」と定義できる。要はコンピュータ上で描いた形状が、ある属性を持っていて、それがデジタルで扱える。「3Dの空間の中に建築をつくってしまう」ということだ。例えば、まず欲しい形を決めて、構造材や配管を配置していったとしよう。その時には、意匠設計図と同時に部材の数量まで拾うことができ、部材が相互に干渉していないかどうかも自動的にチェックしてくれる。それを一つ変更したとすれば、すべての設計図書に一瞬にして反映される。「だから、ズボラな人にBIMはぴったりのツール。ちなみに僕はかなりのズボラです(笑)」。快活な話に、会場はすっかり山梨氏のムードだ。
BIMは単に設計を速くするだけではない。設計・施工プロセスにおける力点の置き方を変更する。それは現代の社会的要求に見合ったものでもある。山梨氏は「川上にマンパワーを入れることができる」という表現で、そうした側面にも目を向けた。従来の設計・生産は、ともすれば設計の初期段階で形が決定され、実施設計、施工と現実化していく上で発見されるさまざまな問題を、後で解決しなければならなかったり、手戻りがあったりという状況にあった。だが、今はそれが許される環境ではない。経済原理の中で、生産には一層のスピードが要求され、人的コストの削減は急務であり、現場の暗黙知を前提にできないグローバルな状況にあり、しかも安全性や説明責任は従来以上に求められる。こうした中では建築にも、早い段階で物事が分かる透明化が要求される。自動車業界で用いられ、生産性を向上させてきたBIMが建築界に導入されたのには、こうした背景があると山梨氏は解説する。
ここまでの話を私なりにまとめたい。BIMは一つには建築設計・生産に《速さ》をもたらすツールである。設計の試行錯誤をスピードアップさせるし、生産との連携もより円滑になる。もう一つ、これと関連しながらも異なる利点が《早さ》だ。BIMはシミュレーションによって、建物の及ぼす効果も含めた完成像を、早い段階で見せられる。以前のような「できてみれば分かる」では、「安全」だけではなく「安心」も求めるような、この社会の中で支持を得にくい。完成像の先回りによって、利害関係者がひとまず安心するような説明責任を果たせる。これもBIMの大事な点だ。2つの《はやさ》は、現代の社会が否応なしに要求するものであり、BIMはそれに対応しているということになる。

しかし、建築におけるBIMとはそんなものなのか、と山梨氏はたたみかける。まったくその通りである。「建築を構築する多様な切り口を切り捨てることなく共存させたい」と、設計者としての自らの思いを述べ、そのためのツールがBIMだとしたあたりから話はさらに面白くなる。コンピュータ・シミュレーションは、多様なファクターを拾い上げ、「新しいダイバーシティ」を獲得する上で有効だ。それは複数の「見えるようにする」働きを持つ。(1)「やがて見えるものを前倒しで見せる」、(2)「見えづらいものをはっきりと見せる」、(3)「見えないものを見えるようにする」の3種である。このように分類して、山梨氏は自作でそのことを説明し始める。
まずは「ホキ美術館」だ。ここでは室内に自然光を採り入れることにして、自然光とLED照明が合わさってどのような光になるか、事前にシミュレーションを行った。平面計画においても、直感を補強する形でコンピュータを用い、施主に対しても説明を深めることができたという。
「某社研究所」では、巨大な陶器製のすだれ=「バイオスキン」を建物の外面に用いた。放射熱で都市を冷却する仕組みである。それがどの程度に有効なのかを「見えないものを見えるようにする」シミュレーションで数値化し、ゴーサインが出された。これによって、内部のユニバーサルな空間の外部に、バルコニーを合理的に確保することもできた。それは人間が出られ、万一の際には避難できたり、救助までの猶予を与えるスペースとなる。このようにBIMの「見える化」によってプランニングも変わる。しかし、シミュレーションの精度はまだ粗く、現段階では大型建築のほうが有効だと山梨氏は言葉を添えた。
最新の話を聞いていて脳裏をよぎるのは、意外にも、日建設計で林昌二氏がまとめた「パレスサイドビル」(1966)や、前川國男氏の「東京海上日動ビルディング」(1974)といった、アトリエ事務所と組織事務所が分断される以前のモダニズム建築の姿である。「パレスサイドビル」の外面を覆うルーバー竪樋は、機能的で、整然とした美学を反映していると同時に、この建築に特有の、近めで見た時に現れる複雑な味わいを与えている。「東京海上日動ビルディング」は、あえてガラスカーテンウォールではなく、構造体をガラス面の外側に位置させることで、救助までの猶予を与えるスペースを確保した。2つの建築は設計者の個性を反映している。しかし、そこには共通性がある。ともに社会の要請を真っ向から受けて実現させた大建築であり、しかしながら単純ではなく、通常のやり方にとらわれない形で、人間的な配慮を盛り込んでいるということだ。
そんな風に考えていると、続いて説明された「木材会館」もまた山梨氏らしく、同時に、先に触れたモダニズム建築に通じるような性格を持っていると感じられる。大きな社会的正義を受け止め、それを読み替えながら、これまでにないスタイルで、しかし一般化(真似)されることを拒否しない形で、繊細な建築らしさを実現させようとしているのである。
現時点での社会的正義が「環境」であるのは、衆目の一致するところだ。「木材会館」は、木材が大気中の二酸化炭素を吸収して生育し、固定することを追い風に、「都市建築における木材の復権」を狙ったものだ。山梨氏が言うのは「木質建築」の重要性である。それは構造体が木であるか否かには関係しない。木材の良さが生きる使い方が肝心である。したがって「木材会館」では不燃化された、香りもぬくもりも失った木材ではなく、自然のままの木を可能な限り利用したと説明する。構法や照明などに関するさまざまな説明も興味深いものだったが、ここではBIMに関連して示唆的な話を抜き出すとしよう。
それは時間のシミュレーションの可能性である。「木材会館」では、打ち放しコンクリートと木材の肌合いをなじませようとしたと山梨氏は言う。打ち放しコンクリートには木製型枠を用いて、木目が転写され、木灰汁がコンクリートに色移りするようにした。これは東京藝術大学の学生時代に目にした前川國男の「東京文化会館」(1961)がヒントになったという。「木材会館」の木材は次第に色が濃くなり、時間が経つにつれ、打ち放しコンクリートの素材感に近づいていくはずだ。今は建設中のプロセスしかシミュレーションできないが、こうしたエイジングのありようもBIMで扱えるようになるのではないかと述べ、山梨氏は3Dではなく「4D」であることにシミュレーションの可能性を見出すのである。
確かに、今までの――少なくとも近代の――建築は、竣工時を目がけて設計していた。当然だが、建築はそれから持続し、人と社会に働きかける。だとしたら、もっと長期的な時間軸に目がけて設計するのが道理かもしれない。コンピュータ・シミュレーションは完成像を先回りして視覚化するだけではない。それは建築が竣工した後のさまざまな《働き》を見せることができる。それを設計のファクターとして導入することができる。山梨氏が「新しいダイバーシティ」と表現したように、BIMないしシミュレーションの発達は、過度な単純化から建築を救うものになりえる。

山梨氏は最後に「自分はBIM推進者だが、BIM信奉者ではない」と述べて、今までのBIMに対する評価がスピードアップやコスト抑制に偏っていたことに対して、建築の設計面だけでもこれだけの効果があるのだと強調した。さらには情報技術が建築に及ぼす影響について、「デジタル・クラフトマンなど新規の職能の誕生」、「サービス・プロバイダなど新規建築ビジネスの登場」、「設計者・作り手・使い手の境界が揺らぎ始める」といった諸点を指摘した。
質疑応答では、BIMなどの情報技術が現代の「道具」であるという立場がいっそう明確にされた。ソフトウェアに関してはまず自分が試してみて、なじむものを使う。鉛筆などと同じで、それによってできるものが変わる。身体化のサイクルが重要で、それによって身体性が拡張していくのではないか。また、結果でなく問題点の共有が、協働者やクライアント、施工者と可能であり、それによって新たな答えが得られることが大きいことを付け加えた。

この文章の最初に述べたように、BIMなどの情報技術は建築設計における《はやさ》に貢献できるだろう。しかし、それはあくまで手段に違いない。道具としての性格であって、目的ではない。むしろ、それは時代の求める《はやさ》に対抗して、建築が本来持つべき時間軸の《長さ》を得る上で、積極的な活用が図られるべきだ。
言い方を変えれば、BIMそれ自体は、決して「豊か」な時代のツールとは思えない。「速くしろ」、「早くしろ」と、建築に対して等しく《はやさ》を求めるなど、今はなんて「貧しい」時代なのだろうか・・。建築など鉛筆一本でゆっくりつくりたいものだ。しかし、それをただ嘆いていても始まらないのは――と同時に少しでも豊かにしていこうと努力していくのは――かつての戦後の貧しさと変わらないはずである。
おそらくBIMは、現代の「貧しさ」に抗するツールだ。モダニズムの黄金期には、分業が未成熟であったから、設計者側が材料や構法といった生産の側面にもコミットできた。そこからフィードバックして設計を行い、全体を統制する仕組みや、機能的であり意匠的な新たな形を考案することも難しくはなかった。そうした統合を、合理化を求める社会的要求にともなう建築設計や生産の分業化が壊したといえる。同時に、そうして生まれた煩雑さや分断性を解消できるのも、また社会的要請の産物にほかならないだろう。BIMなどの情報技術がそれだ。
山梨氏は身体性を拡張し、分断された建築諸分野をつなぎ、再び協働を生み出す道具として、BIMなどの情報技術の可能性に賭けている。時代に背を向けるのではなく、時代より《はやく》駆けることで、かつてのような多様な意味が交差して時間に耐えうる建築の《長さ》を、社会的要求の真ん中で実行しようとしている。その果敢な姿は――東京藝術大学出身だからというわけではないが――研ぎ澄まされた当時のツール=手書きの図面で、協働者との理解を可能にし、社会的要求の厳しさに応え、意匠・構造・設備といった建築諸分野を掌握しながら、建築を生み出した、吉村順三の真っ直ぐさを彷彿させると言っては買いかぶり過ぎだろうか。
前川國男にしても吉村順三にしても林昌二氏にしても、貧しさの中で獲得した手法が、その後の黄金期を生んだ。今が貧しいとしたら、黄金期は目の前にあるはずだ。


 

執筆者プロフィール
倉方俊輔(くらかた・しゅんすけ) 建築史家。西日本工業大学デザイン学部建築学科准教授。博士(工学)。建築系ラジオ共同主宰/1971年 東京都生まれ/1994年 早稲田大学理工学部建築学科 卒業/1996年 同大学院修士課程 修了/1999年 同大学院博士課程 満期退学/著書に『吉阪隆正とル・コルビュジエ』、共著に『東京建築ガイドマップ』、『吉阪隆正の迷宮』、『伊東忠太を知っていますか』ほか

 

講師:山梨知彦(日建設計)

□第2回講演:
BIMは誰のためのツールか?/山梨知彦
ゲストコメンテーター:山崎泰寛(建築ジャーナル)


□日時:2010年5月29日(土)


●講師プロフィール
  1960年 横浜生まれ
  1984年 東京藝術大学卒業
  1986年 東京大学大学院修士課程終了(都市工学)
  1986年 日建設計入社 現在、設計部門副代表

●賞歴
  2001年 BCS賞(飯田橋ファーストビル)
  2005年 日本照明学会 照明デザイン賞(ルネ青山ビル)
  2006年 SDレビュー(神保町シアタービル)
  2008年 東京建築賞最優秀賞・都知事賞(桐朋学園アネックス)
  2009年 グッドデザイン賞(乃村工藝本社ビル)
  2009年 日本建築家協会新人賞(神保町シアタービル)
  2009年 MIPIM ASIA 大賞(木材会館)

●主な著作
  2008年 Google SketuchUpスーパーマニュアル
  2009年 業界が一変するBIM建設革命
  2009年 ガラス建築・意匠と機能の知識(共著)